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第18回 東葛・印旛大師講の史料(1) 軽井沢への札所の移転

更新日:2021年12月17日

 例年ですと、5月1日から5日にかけて、市域や周辺地域で「南無大師遍照金剛(なむたいしへんじょうこんごう)」という独特の節回(ふしまわ)しにあわせて、白い行衣(ぎょうい)を身に着けた多くの人たちが歩いている姿などを見かけることがあります。これが東葛(とうかつ)印旛(いんば)大師講(だいしこう)という民俗行事で、この期間に、鎌ケ谷・柏・松戸・白井の4市に分布する88か所の札所(ふだしょ)を、四国八十八か所巡礼(じゅんれい)の札所に見立てて、団体で巡るというものです。江戸時代後半に誕生し、長く伝えられてきたものです。新型コロナウイルス感染症の流行により、昨年に引き続いて今年も規模を縮小した形で行われることとなるようです。来年はおととし以前と同じように実施されることを願ってやみません。

 さて、市内には東葛・印旛大師講の札所が4か所存在します。このうち、現在の軽井沢自治会館敷地に所在するのが第16番札所(四国霊場(れいじょう)阿波(あわ)国〈現徳島県〉観音寺(かんのんじ))です。なお、この中には、江戸時代末の文久(ぶんきゅう)3年(1863年)に造立された弘法大師(こうぼうたいし)の石像が安置(あんち)されています。実は、この札所は、江戸時代から明治29年(1896年)までは手賀(てが)(いずみ)(現柏市)に所在したことが知られていました。したがって、その後に現在地へと移転したことが推定されていました。
 今から3年前の平成29年、そのことを示す史料が確認されました。所蔵されていたのは、柏市泉の曹洞宗(そうとうしゅう)古刹(こさつ)(由緒ある古いお寺)である龍泉院(りゅうせんいん)です。多数の寺宝や史料とともに、大正11年(1922年)4月に第16番札所を遷座(せんざ)した際、軽井沢の世話人から泉の世話人へとあてて差し出された奉迎証文(ほうげいしょうもん)(札所を迎え入れるための証文)です。

 この証文には、札所は江戸時代には手賀村泉の妙見社(みょうけんしゃ)境内にありましたが、龍泉院境内へと移されていたことが記されています。おそらく、明治維新直後の神仏分離(しんぶつぶんり)の際のことと考えられます。なお、軽井沢は江戸時代前期の新田(しんでん)開発によって誕生した比較的新しい村で、その関係もあり、東葛・印旛大師講に加わるのが他の地区より遅れたのでしょうか。軽井沢の人たちは、お迎えした札所を、地区の信仰行事が行われる薬師堂(やくしどう)(通称「お堂」)境内に設営し、長く大切に守り伝えてきたのです。お堂にかわり自治会館が新設されましたが、引き続き札所は残り、毎年の巡拝の際には、多くの参拝者の姿を見かけます。

奉迎証文の写真
第16番札所奉迎証文(大正11年(1922年)4月)[柏市龍泉院所蔵]

 ところで、この時の軽井沢の大師講世話人をつとめていたのは、小金谷重蔵(こがねやしげぞう)という人です。実は、この人は、現在、鎌ケ谷市無形民俗文化財(昭和61年指定)の軽井沢地区の「おしゃらく踊り」を松戸の人から習って広めた人物として伝承されています。「おしゃらく踊り」は、太平洋戦争前は、東葛・印旛大師講の巡拝の際に演じられて、人気を博した民俗芸能として知られていますが、両者は初発から大変縁があったということができます。
 郷土資料館では、市内を代表する民俗行事と認識し、平成元年度企画展として「東葛・印旛大師講」、平成29年度に第18回ミニ展示として「東葛・印旛大師講again」を開催しました。また、それに関わる調査を行い、資料を収集してきました。特に、後者の展示の際には、貴重な歴史・民俗資料をご提供いただきました。今後引き続き、それらの資料を紹介させていただきます。

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