第14回 台風被害の史料(2)「安政江戸台風」による佐津間村の被害調査
更新日:2021年12月17日
近代の大正、現代の平成は災害が多発した時代でした。それと同じように、比較的短い期間に大きな災害が続出したのが、江戸時代末期の安政年間(1854年から1860年まで)です。今回は、今から164年前の安政3年8月25日から26日にかけて、江戸を中心に関東地方に甚大な暴風雨被害をもたらした「安政江戸台風」の被害を記した市内の史料を確認できましたので、それを紹介します。なお、当時はいわゆる旧暦を使用していましたので、新暦に換算した場合、西暦1856年9月23日から24日に相当します。
さて、安政年間の幕開けは、大地震の勃発でした。安政元年(正確には改元前なので嘉永7年)11月4日に「安政東海地震」、翌5日に「安政南海地震」が起こりました。ともにマグニチュード8.4の南海トラフ巨大地震で、それぞれ死者数千名を数えました。実はこの大災害が勃発したため、安政という新しい元号が定められたのでした。しかし、改元にもかかわらず、自然災害が続きました。翌安政2年10月2日、マグニチュード6.9の南関東直下型地震が起こり、江戸を中心に数千人を超える死者がありました(「江戸地震」)。そして、その被害からの復旧・復興が終わらないうちに関東地方を襲ったのがこの台風でした。
江戸での記録によると、25日の夕方から雨が降りしきり、午後8時ころからは南風が強まり、雷鳴がとどろくようになりました。そして午後10時ころには近年まれな大暴風雨になったということです。翌26日の未明午前4時ころになると風雨がようやく衰え、人が歩くこともできるようになったといいます。さて、この台風は、暴風雨のほか、現在の東京湾岸に最大2.5メートルから3.2メートルにも達する
現在の研究では、この台風は静岡県伊豆半島付近に上陸し、江戸のすぐ西を通過して、関東地方北部を経て東北地方へ進んだものと推定されています。このコースは、特に南関東にとっては最悪でした。当時は強さや勢力を観測する機器がありませんでしたが、「東京湾台風」や「令和元年東日本台風」に匹敵するものであったことは想像にかたくありません。なお、正確な被害の全容は、史料や記録によって異なっていますが、一説には死者約10万人ともいいます。そのため、史上最悪の風水害被害をもたらしたともいわれています。
この当時、市域の
「大嵐ニ付被吹倒候家数并木品書上帳」(表紙)(安政3年8月)個人蔵
佐津間村の被害が記載された資料(「大嵐ニ付被吹倒候家数并木品書上帳」より一部抜粋)
虫損によって読めない箇所もありますが、その主な内容は次の通りです。
この中では、8月25日夜になると、大昔から経験したこともない
そのほかに、「
さらに、作物の被害についても記されています。水田の稲については、
これらの記述を見る限り、この台風は、大正の「東京湾台風」と同じように大変な秋の「風台風」であったことも確認できます。なお、この時田中藩では、下総分領における被害調査を行ったようです。佐津間村など市域を含む南部21村の記録はありませんが、北部21村(柏市北部、流山市など)の合計では、
近年、自然災害が多発する傾向にありますが、現代では、大規模な地震と台風の被害が短いスパンで起こったことはありません。しかし、歴史を紐解くとそのような事態があり得ることを教訓とすべきでしょう。
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