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かまがや取材日記 飛地 令和3年5月12日

更新日:2021年5月19日

市内に3か所

 鎌ケ谷市の地図を見るたび、不思議に思うことがあります。飛地の存在です。

 市内には3か所の飛地があります。船橋市が2か所、柏市が1か所です。海の中にぽっかり浮かぶ島のように存在する他市の飛地は、どうしてできたのでしょうか。鎌ケ谷市郷土資料館の学芸員に聞いてみました。

 結論から言うと、はっきりしたことはわかりませんでした。ただ、江戸時代の村の成り立ちと明治期の市制・町村制度などが関係しているようです。

 一番大きい飛地は、東武野田線馬込沢駅の北側一帯の船橋市丸山地区です。丸山地区は江戸時代前期、道野辺村が利用する権利を持っていた台地上の草地でした。ここには全く人が住んでいませんでしたが、新田開発の結果、農耕地として開墾され「丸山新田」という道野辺村に囲まれた新しい村となりました。

 その後、明治22年の市制・町村制実施の際、千葉県は鎌ケ谷村、初富村、粟野村、佐津間村の4村を合併させて新たな鎌ケ谷村を作ろうとしました。しかし、基準の戸数に届かなかったため道野辺村と中沢村、軽井沢新田などを加えることとなりましたが、「丸山新田」は入りませんでした。その結果、「丸山新田」(丸山地区)は鎌ケ谷村、鎌ケ谷町、鎌ケ谷市内の飛地となったのです。

 丸山地区の西側にも船橋市の飛地(船橋市藤原)があります。こちらは江戸時代後期、中沢村と藤原新田(現船橋市)が境界をめぐって争った土地です。両村の主張は折り合わず幕府に訴えたのですが、論争は何年間も続き、最後は勘定所の役人の立会いの下で境界に杭が打たれて決着し、藤原新田の飛地となることが確定しました。

 柏市の飛地は小さいので、地図をよく見ないと気付かないかもしれません。福太郎アリーナ(市民体育館)と鎌ヶ谷自動車学校のほぼ中間あたりにあります。その場所に江戸時代、軍馬を育てた下総小金中野牧入口の施設(見張り小屋のようなもの)があったようで、その施設が藤ヶ谷村(現柏市)の所有だったため柏市の飛地になったのではないかとされていますが、資料はなく詳しいことはわかりません。

 いずれにしても江戸時代の土地に対する需要の高まりが、飛地出現の遠因となっているようです。

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電話:047-445-1073

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