更新日:2018年6月25日
江戸時代、徳川家康の旗本(小姓)を務めた原田勘兵衛は、元和2年(1616)に2代将軍・秀忠から300石の土地を与えられた。そのなかに、中沢村があったんだよ。
その後、勘兵衛は大番という職につき、将軍の身辺警護を務める。寛永10年(1633)には大番の組頭に出世し、寛永13年には下総国内の香取郡と匝瑳郡の土地500石が加増された。
勘兵衛の死後も中沢村は子孫に引き継がれたんだけど、元禄11年(1698)になると、幕府の政策によって原田氏の領地はすべて下総国の香取郡内に移されたんだ。これで83年間続いた支配は終わり、幕府の支配地から間もなく大名・本多家の土地になったんだよ。